冬の寒さもようやく和らぎ、みんなで合格祈願に行った天神神社の梅も咲き、麗らかな春の訪れを感じます。この良き日に私たちは卒業の日を迎えることができましたことを、大変嬉しく思います。
本日は、馬渕校長をはじめ、多くのご来賓の皆様のご臨席を賜り、このような心のこもった式典を挙行して頂き誠にありがとうございます。また、先ほどは数々のご祝辞と激励のお言葉、在校生からは心温まる送辞をいただき、卒業生一同心より感謝申し上げます。
思い返せば入学した時の春、住み慣れた地を離れ、新しい人達との出会い、仕事と学業、家事、育児と二足、三足のわらじを履いて学校生活が始まりました。期待とそれ以上に大きな不安を抱えながら歩み始めたことを昨日のことのように思い出します。私たちは年齢も個性も様々ではありますが、いつも前向きに考えて乗り越えようとする明るい雰囲気と、ここぞというときの団結力があります。看護師を目指すという同じ目標に向かい、時には涙することもありましたが、互いに励ましあい、共に歩んできた道はかけがえないのないものになりました。
学校生活の中での思い出は語りつくせぬほどありますが、一番思い出となっているのは、臨床実習のことです。新たに実習グループが編成され、顔を合わせた事はあっても言葉を交わしたこともない状況で、実習が最後まで成し遂げられるのだろうかという不安でいっぱいでした。しかし、グループで看護について話し合い、お互いにアドバイスをしながら行なっていくうちに徐々に不安はなくなっていき、支えあう仲間となっていきました。
振り返れば実習の前に、副校長先生より「実習は楽しいものです。看護を楽しんできてください」という言葉で送り出していただきましたが、その時は半信半疑でした。最初は、自分の思いを看護に表現することの難しさに眠れない日々が続き、どうしたら少しでも患者さんの苦痛や不安を取り除くことができるのか、出来ない自分が不甲斐なく、ときには涙することもありました。患者さんの思いを知ろうと患者さんの心に寄り添いながら看護を行なうことで患者さんの笑顔が見られ「ありがとう」の言葉をかけていただいた時に、副校長先生の送り出していただいた言葉の意味がわかりました。
また、この実習を機に患者さんはどんな人生を歩まれてきたのか、どんな想いで過ごしているのだろうか、家族はどのようにされているのだろうか。そして、患者さんはどんな力を持っているのだろうか。患者さんの持てる力を引き出すことが大切であるということも身をもって体験することができました。看護は自分だけの思いで行なうものではないこと。患者さんのいま起こっている身体の状況を看護の視点で観察すること、それらは患者さんの心に寄り添うことで小さなサインを見逃さず、思いに気づくことで心ある看護につながり、さらには看護の喜びを知ることができました。
看護師として人の命に携わっていくことへの責任の重さ、役割を強く心に感じ、この思いを忘れずにこれから看護師として患者さんと向き合っていきたいと思います。
晴れて卒業の日を迎えた今、何よりも伝えたいのは私たちを温かく見守り支えてくださった多くの方々への感謝の思いです。不慣れな援助を快く受け入れ、学ぶ機会を与えて下さった患者様、未熟な私たちを親身に指導し、導いて下さった指導者さん、私たちの迷いや悩みに耳を傾け、ときには厳しく温かい指導で導いて下さった諸先生方、体調を気遣い、どんな時でも私たちを理解し、支えてくれた家族。楽しい思い出や辛いこともお互いの気持ちをいたわりあい支えあった仲間たち。多くの人達の助けがあったからこそ、いま、卒業の時を迎えることができました。言葉では言い尽くせない感謝の思いを明日への力に変えて私たちは新しい一歩を踏み出します。
在校生のみなさん、日々の生活の中では楽しいことばかりではなく、悩み、苦しむこともあると思います。積極的に学び、毎日を大切に過ごしてください。同じ道を志す皆様が有意義な学校生活を送られることをお祈りいたしております。
最後となりましたが、私たちに多くの学びを与えて下さった校長先生をはじめ、理事、諸先生方に感謝を申し上げます。また、岐阜市医師会看護学校の歴史と伝統がいつまでも輝き、発展されることをお祈りいたしております。
私たちは今後、それぞれの道を進んでいきますが、この学校生活を通して人の温かさ、厳しさに触れながら学んだ生命の尊さを忘れることなく、今までの学びを基礎として感性を磨き、豊かな心が持てるよう努力を重ねていくことを固く誓い、答辞とさせていただきます。